2022.10.17
父
2022年10月10日
私の父は72歳(享年73歳)でこの世をさりました。
父が父になった日からの事を知る、娘として、少しでも一人の人が生きた証をここで残したい…
そう思いながらブログを書いています。
物心ついたときには、一見 やくざ風の父の勢いに私はかなり、消極的に育ちました。
怖い父という印象で気軽に話すことができなかった父親。
それでも縁側に座り色鉛筆で絵を描いたり、魚釣りに出かけたり、山に山菜を取りに出かけたり…
今で言うアウトドアのパパだったのかも知れません。
幼少期に貧しかった、という父の経験から、私達への教育の方向性は無駄なものは買うな、使うなという方針で、当時はやり始めたゲームを買ってほしいなどと口にすることもできず、うちはどの家庭よりも貧しいんだと思い大人になりました。
自営業で左官を始めた父が病気を患ったのがきっかけで、不安定な家計に母が働きに出始めた頃は
夫婦喧嘩が絶えず。
包丁を持ち出す父に、家を出ようとする母。
そのような光景は当時、子どもだった私達姉妹には地獄の様な時間でした。
父が嫌い… こんな家出ていかなきゃ…そう思いながらもようやく高校を卒業をし、寮のあるホテルへの
就職が私の人生の転機だと思っていました。
しかしながら、父には
何故か苦しみました。
そのような父は、私が親になり孫ができると一変。
先日、私の長女に聞いた話によると、小学一年生の時になんでも、好きな物を買ってくれた爺ちゃんは
お金持ちだと思っていた…らしいです。
それくらい孫を可愛いがりました。
今年の正月、働きだした長女から、お年玉だともらったお金をみて、沢山の涙を流した父。
最初で最後の孫からのプレゼントになりました。
父は乱暴な言葉で私達家族を傷つけました。
そしてそれをカバーするかのような熱量だけは、いつもあることを母を見ていて学びました。
大嫌いだった父が亡くなるときにはすごく可愛くみえたので、キチンとお礼が言えました。
私は伝え残したことはありません。
お父さん、あなたがきっと若くして選んだ母も、ようやくお父さんのことを優先にせず
自分の事ができるようになりましたよ。
きっと、天国で心配でしょうが 母は娘たちで看ていきますので安心して下さい。
命を受けるすべての方に父と母がいます。
それがどのような形であれ、そこから何かを学び自分で選択して生きていかないといけません。
私の『父』のからだを借りてこの世に生きていた魂は、きっとまた
この地球のどこかで誰かの役に立つと感じています。
お父さんありがとう。